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難病を抱える娘を介護している母親が語る

初めての介護体験、余裕がない生活に一息つく勇気を持とう

初めての介護体験、余裕がない生活に一息つく勇気を持とう

ニュースや新聞で取り上げられる介護に関する悲しい報道を見るたびに、心が痛む人は少なくないでしょう。老々介護、家族同士のいがみ合いや押しつけ合い、介護施設での悲しいできごとも、報道されるのは氷山の一角ともいわれています。元気で健康で人に迷惑をかけない人が普通で、そうでない人は弾かれる社会であってほしくはありません。いつ、誰でも「そのとき」が来るかもしれません。難病を抱える13歳の娘を介護している筆者が、これまでの経験や介護を通じて感じたことを語ります。

娘の病気がわかった経緯

妊娠中も生まれたときも異常はなく、病気を調べる必要もなく無事に出産を終えました。おかしいなと気がついたのは生後2カ月のころ。首が座りかけていたのが後退するようになり、おっぱいが飲めなくなってきてむせることが多くなり、おかしいと気がつきました。

飲みたいのに飲めない、と泣く娘が不憫で仕方なく、病院へ駆け込みました。それから、あっという間に時が流れ、生後6カ月で数万人に数人の割合でなる難病だとわかりました。

自分では手足どころか指先がわずかに動くほど、寝たきりの状態で一生を過ごさなくてはいけないと大学病院で説明を受けました。病気がわかるまで毎日ネットで調べ倒し、おおよその予想はついていましたが、それが現実と知り愕然としたことを覚えています。

まさかが現実に。谷底へ落された気持ちに

宝くじでもないのに、そんな「大当たり」がわが家に降ってくるなんて、ありえない。そんな気持ちで、すぐには現実を受け入れられませんでした。

次第に呼吸が苦しくなってくる娘は入院、一気に体調を崩してしまいました。そして、かわいい娘の喉には穴が開き、人工呼吸器という大きな器械につながれました。それからは、毎日が生きるために必死でした。何度も危ない橋を渡り、つき添う私も疲れ果てていきました。このころ、未来は真っ暗で、なにも希望が持てない日々でした。

待ちに待ったわが家での生活

入院日数も数カ月に渡り、娘を退院させたいと考えるようになりました。娘の兄弟もおり、私が病院で長い時間を過ごすことで、家族の生活に支障が出ることが気になっていたからです。そしてなにより、娘は大変な病気であるけれど、病室ではなく家族で一緒に過ごせる自宅に戻してあげたかったのです。

それから病院、市の福祉課、保健所、訪問看護ステーションや呼吸器業者など、たくさんのかたとカンファレンスを何度も繰り返し、入院から11カ月後、ようやく自宅に戻ることができました。本当にうれしかったです。人口5万人ほどの小さな市、呼吸器を使用している子どもが自宅へ戻って生活することは前例がなかったそうです。

初めて車に乗る娘の表情、周りをくるくると見回し自宅へ戻ったときのワクワクした顔は忘れられません。お兄ちゃんがいる、お父さんがいる、そんな「当たり前」がやっと手に入ったのです。

毎日の生活はやっぱり大変

家に戻ってひと段落は着きましたが、ここからがさらに大変でした。娘は1歳半、呼吸器をつけているということは、何かトラブルで呼吸器が止まったり、喉元が外れたりするとたちまち呼吸が止まる、ということです。さらに、自力でものが飲み込めない娘は、口鼻はそのまま吸引できますが、気管に降りた唾液や痰は呼吸器を外して吸引が必要になります。当時、この吸引を1時間に数回、体調が悪い時は数十回。文字通り、娘から離れられない状態でした。

呼吸器を使用する人は、指先に血中酸素濃度を測る機械を常時つけていなくてはいけません。健康な人であれば100を最高に、97程度はありますが、肺炎や呼吸が苦しい状態だとその数字が下っていき、95を下回ると身体的にかなりしんどくなります。私も思いきり息を止めて測ってみたことがありますが、もうこれ以上は無理、と思えるところが92~93くらいでした。

娘はしんどいとき80台、ひどいときは70台に落ち込むときもあるのです。そんなときは、こちらの心臓もバクバク。本当に焦りながら、手動のアンビューバッグで空気を一生懸命送ります。徐々に数字が戻ってくると呼吸器につなぎ直してひと安心。小さい頃は、吸引とアンビューの繰り返しが頻繁で、「ただ生きつなぐ」だけで毎日が過ぎているようでした。

周りのサポート、ありがたいと思う一方で…

それから10年以上の間、訪問看護さん、ヘルパーさん、ケアワーカーさんや保健所、リハビリの先生や研修医さんと、わが家にはほぼ毎日誰かが来訪してくれます。それはもちろん娘のためで、本当にありがたいと思いながらも、くつろげるはずの自宅でもゆっくりできる時間はなく、もう1人の自分はいつも疲れていました。

すべてが初めてで手探り状態。「これが普通でなければならない」「自分で好きにやることは許されない」「疲れた、ゆっくり休みたい、と思ってはいけない」…そんなことを感じていたように思います。なぜなら、私はかわいい娘を大変な病気で生んでしまった責任がある、と思っていたからです。娘はこんな大変な病気を抱えて生きないといけないのだから、母親である私が楽しんではいけない、と信念のように心に留めていたように思います。

笑顔のママが一番

今では、そんな考えは間違っていると思えます。なぜなら、楽しくない私が真横にいて娘の介護をして娘がうれしい気持ちになるか、というと絶対に違うからです。「ごめんね、ごめんね」と思いながら話しかけられてもうれしいはずがないし、自分が逆の立場で考えたら答えは明白です。

数年前にそれがわかってから、自分の楽しみを見つけることを罪と思わないようにしよう、と心がけています。最初は、頑張ったご褒美に好きなバッグを買うことから始め、今では好きなバンドのライブにも行っています。もちろん夫をはじめ家族の協力は必須ですが。

介護に携わる人の苦労は痛いほどわかる

「無理せずできるように」とは言うものの、余裕がないのは介護に必死、真剣に向き合っているからこそで、そんな生活を送っている人には、助言が耳に入らないことも多いと思います。毎日することが山ほどある、時間は待ってくれない、耳を傾ける余裕もないくらい大変なことは、私も経験してきました。

真剣であるからこそ笑顔が消える、ということも十分わかりますが、ちょっと肩の力を抜いて「こうでないといけない」から脱線しても、そこまで問題はないことも経験しています。介護は6割できれば上等、が私の経験則です。ゴールが見えづらい毎日だからこそ、少しでも「楽しい」を増やしていきたい。それがきっと娘にも通じると信じています。